英国のジョセフースワンは1850年に、真空のガラス容器と紙をコイル状にして炭化したフィラメントで、電球をつくった。改良を加えて1860年には、木綿糸を乾留(空気にふれない状態で加熱すること)炭化による炭素フィラメント電球をつくるのだが、さきほどもふれたように当時の技術で実現できる真空度が低かったために、ごく短時間光っただけであった。スワンはそこで、電球の開発をあきらめてしまう。それから17年というしつに長い中断の期間を経て、彼は電球の開発に再挑戦する。真空技術が向上したからである。今度は、木綿糸を硫酸処理して炭化したフィラメントを使った。彼はその「炭素フィラメント電球」を完成させて、1878年2月5日に700人の前で公開している。エジソンの特許出願よりも9ヵ月以上も早かった。しかし、スワンの炭素フィラメント電球の寿命は短かった。原因はやはり、真空度が十分ではなかったこと、そして炭素フィラメントの材質そのものの問題であったが、改良を加えた彼の炭素フィラメント電球は、1880年代の初めまで英国で販売されていた。スワンは炭素フィラメント電球を発明したばかりでない。エジソンとちかって化学の分野に強かったスワンは、写真用臭化銀ゼラチン乾板を改良し、いまでも使われている白黒の「ブロマイド印画紙」を発明している。さらに、のちにもふれるが、フィラメントをつくるために木綿糸を酸で処理しているうちに、T一トロセルロース人絹製造法」の原理を見出した、化学繊維の研究開発のパイオニアでもあった。アインシュタインの没後50年、「光量子の理論」「ブラウン運動の理論」「特殊相対性理論」の三つの理論を発表した「奇跡の年」(1905年)から100周年にあたる2005年には、スワンは「英国とアイルランドにおける世界に貢献した物理学者10人」に、アイザックーニュートンやロバートーフック、マイケルーファラデー、アーネストーラザフォード、ジェームズークラークーマクスウェルといった錘々たる人物とともに選ばれている。