彼は、大学を出てから仕事を転々とし、結局は家業の町工場を継いでいます。反骨精神が旺盛で、親ともしっくりいっていなかったらしい彼がそこに至るまでには、様々な事情があったようです。それ故彼は、私が母親からの自立について悩み、最終的に看護師という職を得て自立に向かったことに対して、終始良き理解者でした。私はフェミニズムの立場を貫く文筆業の母親を尊敬しつつも、同じ道を歩むことに抵抗を感じていたのです。私が就職の報告をした時、彼は私にこう言いました。「町工場の親父になるのは抵抗があったよ。第一に親の仕事だって理由だけで、嫌だろう?だから、僕は君が看護師になった気持ちはわかる気がする。そんなレベルでわかられたくないって、君は思うかもしれないけど。でもね、『親と一緒のことをしたくない』っていう気持ちは、単なるくだらない反抗というわけじゃない。」「人間が大人になる上では、かなり本質的な思いだと思うね。結局は親と同じ道を行くにしても、一度は死ぬほど悩まなきゃ。俺は、死ぬほど悩んで、それを引き受けたわけだ。だから今は、気楽に町工場の親父をしていられる。ありがたいことだよ。君も、おばさんになった時、気楽に看護師をやっていられるといいよね」この言葉を、私は今も本当に大切にしています。団塊の世代の彼は、大学でバリケードの中にいた典型的な元活動家タイプ。風貌で言えば、コーデュロイのジーンズにネルシャツの似合う、しゃれたおじさんです。理論家で、情の篤い彼と話していると、そんな雰囲気がばしばし伝わってくるのですが、彼の口からその頃の話を具体的に聞いたことはありません。それでも全共闘の思い出話の本が出回った時、話の流れから、私は彼にその当時の話を聞いてみました。すると彼は、同世代の人たちが誇らしげに昔を語ることを、決して良くは思っていなかったのです。「町工場で大学時代とは全然違う人間関係ができた時、自分が大学に行かせてもらえたことがものすごく恵まれてたんだ、ってわかったよね。出入りしている業者さんとか、取引してる職人さんとか、中学出てから働いてるって人が多いんだよ。団塊の世代って言うと、大学紛争ってイメージあるけど、実は大学行けた人なんて一握りなんだよ。俺はそのことを忘れちゃいけないなって思う」彼は言葉を選びつつ、こう話したあと、苦笑いしながら付け加えました。「それにさ〜、うんと若い頃のことだからね。それを思わせぶりに話してみたって、年寄りが戦争のことを誇らしく語るのと変わらないんだよ。なんか思い出の利子食いしているみたいで。淋しいんだ、そうゆうの」以来私の方からその話題を出したことはありません。